【5分でわかる】宗教改革とは?ルターの功績とプロテスタント誕生の歴史
マルティン・ルターの宗教改革
1517年10月31日、マルティン・ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に「95か条の提題」を掲げたことから宗教改革は始まりました。それは、「人は信仰によって義とされる」という聖書の真理を回復する動きであり、聖書に基づく礼拝と信仰の回復が今日の教会の歩みへつながっています。
宗教改革とは
「人は信仰によって義とされる(ローマ1:17)」
宗教改革とは、16世紀のヨーロッパで起こった、キリスト教会の信仰と制度を根本から問い直す大きな運動です。その中心となったのはドイツの修道士・神学者マルティン・ルターでした。1517年10月31日、ルターは「95か条の提題」をヴィッテンベルク城教会の扉に掲げ、贖宥状(免罪符)の販売に対して疑問を呈しました。これは「人は行いによってではなく、神の恵みと信仰によって救われる」という聖書の教えに立ち返る呼びかけでした。この出来事が引き金となり、ヨーロッパ全土に信仰の刷新運動が広がっていきます。

当時のローマ・カトリック教会は、権威が極めて強く、聖職者の腐敗や教義の混乱が深刻化していました。人々は聖書を自分の言葉で読むことができず、信仰の中心が神から教会制度へとずれていたのです。ルターは聖書をドイツ語に翻訳し、民衆が自分の目で神のことばを読むことを可能にしました。その結果、「聖書のみ(Sola Scriptura)」「信仰のみ(Sola Fide)」「恵みのみ(Sola Gratia)」というプロテスタント信仰の基本原理が確立され、信徒一人ひとりが神との直接的な関係をもつという思想が広まりました。
宗教改革はルターだけでなく、スイスのツヴィングリ、フランス出身のジャン・カルヴァンなど、多くの改革者によって広がり、やがてルター派・改革派・長老派・英国国教会など、複数のプロテスタント教会が誕生します。これらの流れは信教の自由や教育の発展、近代民主主義の基礎にも影響を与えました。一方で、宗教改革はキリスト教世界の分裂を招き、宗派間の対立や戦争を引き起こすという影の側面もありました。
しかし、その中心にあったのは「信仰の純粋さを取り戻したい」という願いでした。宗教改革は、過去の一時的な出来事ではなく、今もなお「教会は常に改革され続ける(Ecclesia semper reformanda)」という精神として生き続けています。それは、時代を超えて、神のことばに立ち返る信仰者の歩みを導く光なのです。
マルティン・ルターが行ったこと
| 1517年 | 「95か条の提題」を発表 |
| 1518–1520年 | ローマ教皇から異端の疑いをかけられる |
| 1521年 | 「ヴォルムスの帝国議会」で信仰撤回を拒否 > 「ここに立つ。ほかに道はない」 |
| 1522年 | 新約聖書をドイツ語に翻訳(民衆が聖書を読めるように) |
| 1529年 | カテキズム(教理問答書)を出版 |
| 1530年代以降 | ルター派教会の形成 |
宗教改革の年表(主要な動き)
| 1517年 | ルター、「95か条の提題」を発表 |
| 1521年 | ルター、ヴォルムス帝国議会で追放処分 |
| 1522年 | ドイツ語新約聖書出版 |
| 1530年 | アウクスブルク信仰告白(ルター派の信仰表明) |
| 1534年 | 英国、ヘンリー8世により国教会(英国国教会)成立 |
| 1536年 | スイスのカルヴァン『キリスト教綱要』出版 |
95か条の提言

ルターの提題は95項目に及びますが、主なポイントは以下の通りです。
- 贖宥状によって罪が赦されると教えることは誤りである
- 真の悔い改めは、外的行為ではなく心の内なる変化である
- 教皇の権威は神の御言葉の上にはない
- 救いは、信仰と神の恵みによって与えられる
- 教会の富や権力よりも、貧しい者への愛と奉仕が重んじられるべきである
→ これらは、教会のあり方を「聖書中心・信仰中心」へと立ち返らせる強い訴えでした。
宗教改革から生まれた主要なプロテスタント
| 宗派 | 創始者・中心地 | 特徴 |
|---|---|---|
| ルター派(Lutheran) | マルティン・ルター/ドイツ | 「信仰義認」「聖書の権威」 |
| 改革派(Reformed / Calvinist) | ジャン・カルヴァン/スイス・ジュネーブ | 神の主権・予定説・清廉な生活 |
| イングランド国教会(Anglican) | ヘンリー8世/イギリス | 王を首長とする国教会制度 |
| 長老派(Presbyterian) | ジョン・ノックス/スコットランド | 教会の自治・聖書中心主義 |
| バプテスト・メソジスト等 | 17~18世紀の信仰復興運動から | 信仰告白と宣教重視の信徒共同体 |
宗教改革の光と影
光 — 信仰と聖書の回復
- 聖書が各国語に翻訳され、一般の信徒も読むようになった
- 礼拝が民衆の言語で行われ、説教中心へ
- 教会の教育・福祉活動が発展した
- 近代教育や人権思想にも影響を与えた
影 — 教会分裂と戦争
- 教会が分裂し、プロテスタントとカトリックの対立が激化
- 三十年戦争など多くの流血が起きた
- 一部では宗教的不寛容が続いた
- 「改革された教会も常に改革され続けなければならない(Ecclesia reformata semper reformanda)」という自省が生まれた
エキュメニズム(教会一致の考え方)
宗教改革500周年(2017年)以降、カトリックとプロテスタントの間では、「対立」よりも「和解と協力」が重視されるようになりました。
- 1999年:ルター派世界連盟とカトリック教会が「義認の教理に関する共同宣言」に署名
- 2017年:ルンド(スウェーデン)で教皇フランシスコとルター派が共同礼拝
- 近年:世界教会協議会(WCC)や各国の教会協議会を通じて、祈りと社会的奉仕を共に行う動きが進展
教会の一致は、制度の統合ではなく、キリストにある一致として追い求められています。
「平和のきずなで結ばれて、御霊による一致を保ちなさい」(エペソ4:3)
御言葉に立つ教会として
宗教改革の精神は、500年を経た今も生きています。
それは「教会が常に御言葉に立ち返る」こと、
「信仰によって生きる」ことへの呼びかけです。
私たちもまた、神の恵みによって造り変えられる教会として歩み続けましょう。



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