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後悔と不満の先に「力の源」を見出す

【旧約聖書 ネヘミヤ記 8:10】主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。

1. 喜びの前に流れる、正直な涙

ヨハン東京キリスト教会の11月の聖句である「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」という言葉は、私たちに「とにかく喜びなさい」と命じているように聞こえるかもしれません。しかし、この言葉が語られた聖書の場面(旧約聖書ネヘミヤ記8章)の背景を知ると、その意味が深く変わってきます。

バビロン捕囚から帰還したイスラエルの民は、律法を朗読され、その教えを聞いた時、皆が泣き崩れました

なぜ泣いたのでしょうか。それは、律法という鏡を通して、自分たちが神の教えからいかに遠く離れ、罪深い生き方をしてきたかを深く悟り、後悔と悲しみに満たされたからです。

私たちも同じではないでしょうか。礼拝に出席し、説教や聖句に触れるたびに、「自分は主に喜ばれていないのではないか」「また同じ失敗を繰り返してしまった」と、後悔の念に囚われてしまうことがあります。

2. ネヘミヤが教えた「喜び」の方向転換

指導者であったネヘミヤは、悲しむ民にこう告げます。

「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」

聖書 新共同訳:©︎共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
©︎日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

そして、この聖句を宣言しました。

ネヘミヤは、民の悲しみを否定したのではありません。しかし、悲しみをいつまでも引きずってエネルギーを消耗するのではなく、視点を「神様が今してくださっていること」へと転換せよと促したのです。

悲しみや後悔は、しばしば「自分自身」に焦点が当たっています。

  • 「私の罪」
  • 「私の失敗」
  • 「私の不十分さ」

しかし、主を喜ぶことは、焦点を「神様の恵み」に移すことです。

  • 「神様はそれでも私を愛してくださっている」
  • 「神様は私を罪から救ってくださった」
  • 「神様は私に新しい出発の機会を与えてくださった」

この視点の転換こそが、私たちの「力の源」となるのです。

3. 「ご利益主義」の苦悩を越えて

私たちがご利益主義的な考えから脱しきれず、「祈ったことが叶わない」「別の道が用意されたけど素直に喜べない」と苦しむのは、神様を「私の要求に応えてくれる存在」として捉えているからです。

しかし、主を喜ぶことは、「神様は、たとえ私の要求と違っても、必ず最善の道を与えてくださる信頼できる方である」という真理を心から受け入れることです。

  • かなえられなかった願い: それは、神様が私たちにもっと良いもの、もっと大きな成長を用意してくださったサインかもしれません。
  • 予期せぬ別の道: それは、私たちの狭い視野では見えなかった神様からのサプライズプレゼントかもしれません。

たとえ現時点で理解できなくても、神の愛と知恵は私たちの願いを上回っている。その事実に「感謝し、素直に喜ぶ」こと。これが、後悔や不満にエネルギーを奪われることなく、未来へ進むための本当の力となります。

4. 今日から実践する「喜び」

主を喜ぶことは、訓練によって身につく習慣です。

  • 朝、目覚めたときに感謝する。
  • 失敗した後でも、神の赦しを思い起こし、自分を責めるのをやめる。
  • 自分の思い通りにならなかった出来事にも、あえて「何か意味があるはず」と感謝の種を探してみる。

主を喜び祝うという行動は、私たちが自分自身の弱さや環境に支配されるのではなく、神様の恵みと力に信頼して生きることを選び取る、信仰の宣言です。この力強い聖句を胸に、今月も主の喜びを私たちの力の源として歩んでいきましょう。

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