「特別な才能」だけじゃない!人生の苦難もまた、あなたの大切な「賜物」です
みなさん、こんにちは。
教会で「賜物(たまもの)」という言葉を耳にすることがあるかと思います。「賜物」と聞くと、つい「人より抜きん出た特別な特技や才能」「専門的な知識」「リーダーシップ」といった、華々しいものをイメージしがちではないでしょうか。
もちろん、これらも神様から与えられた素晴らしい賜物の一つであることは間違いありません。しかし、聖書が語る「賜物」の豊かさ、深さは、私たちが一般的に考える「能力」や「特技」の枠をはるかに超えているのです。
人と比べて落ち込まなくていい理由
もしあなたが、「自分には人に誇れるような特別な才能なんてない」「あの人のように奉仕できない」と、誰かと比べて落ち込んでいるとしたら、それは「賜物」の捉え方を少し変える必要があるかもしれません。
キリスト教における「賜物」(ギリシャ語でカリスマ charismata)とは、神様が一人ひとりに与えてくださった、教会や隣人を助けるための特別な恵みの現れです。これは、単なる「能力」ではなく、あなたの存在を通して働く神様の愛の力なのです。
そして、この賜物には、特別な技能だけでなく、あなたの「人生そのもの」が含まれていると私たちは信じています。
苦労の人生こそ、誰かを助ける「最高の道具」
あなたの人生を振り返ってみてください。
- 人には言えないような深い悲しみを経験したこと。
- 何度やっても失敗して、もがき苦しんだ過去。
- 孤独や不安に押しつぶされそうになった日々。
これらは一見、マイナスな経験、早く忘れてしまいたい「傷」のように思えるかもしれません。しかし、聖書は、私たちの弱さや苦難の経験こそが、将来、同じように苦しむ誰かの「最大の慰め」となることを教えています。
この真理を、使徒パウロは次の言葉で私たちに伝えています。
「神は、私たちが苦しんでいるとき、すべての慰めをもって慰めてくださいます。それは、私たち自身が神から受ける慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができるようになるためです。」 (コリントの信徒への手紙第二 1章4節)
聖書 新共同訳:©︎共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
©︎日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
あなたが深い苦労を乗り越えたからこそ、あなたは苦しんでいる人の心に寄り添うことができます。それは、あなたの「大丈夫」という一言が、空虚な励ましではなく、心の底からの共感として届くからです。あなたの痛みを知る経験は、誰かの心を包み込む温かさとなって響きます。
この「共感し、慰め、支える力」こそ、神様があなたに与えてくださった、他に代えがたい大切な賜物なのです。あなたが人生で流した涙は、誰かの心を潤すための水となるでしょう。
あなたの「弱さ」を、神様の愛のために用いる
特別な才能は、神様が与えてくださった素晴らしい贈り物です。しかし、あなたの人生の弱さ、苦労、痛みを伴う経験もまた、神様の愛を現すための、非常に大切な、そしてあなただけの賜物なのです。
あなたは、誰かと比べる必要はありません。あなたがあなたとして生きてきた、その経験のすべてが、今、教会やこの世界で、誰かを愛し、助けるための力として用いられる時を待っています。
あなたの過去の経験を、恐れず、隠さず、神様の手に委ねてみませんか。あなたの苦難は、必ずや、光を必要としている誰かの希望となるでしょう。



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